ありの研究
社会でいろいろ活躍してる人々の話を聞けるイベントに参加してきました。
TEDxのイベントです。
今までは「価値ある考え方」っていう言葉自体に違和感を感じていて参加することをためらってきました(なんていう頑固さw)
友人の誘いで行ってきました。
スピーチをした農学部の教授のテーマは、
「アリの社会性」
これは有名な話ですが、アリっていうのは、全体の約3割近くしか労働をしていないことがあるそうです。
つまり、残りの7割方は何か意味のある行動を取っているわけではなく巣の中をぶらついているとかしているわけです。
アリのする労働の中に卵を舐め続けるというものがあります。
それというのも、アリの卵ってほうっておくと30分くらいでカビてしまうんだとか。
しかし、その中で彼らはそういう「疲れる」2割の労働を交代しながらやっているのだそう。
アリにも疲労が蓄積すると考えると、ずっと動き続けるとその一部だけが死んでしまいますからね。
うまくやってるよなー
なんら活動をしていない時間があったとしても、結果的に巣をほろぼさないように動いてるわけなんですよね。
動物の行動は時に、こんなの人間じゃ考えられない!ってものもありますよね
そして人間の活動はすべての人ができるわけじゃないものもあるけど、
人間もうまくできないのかなーって思ったトークでした。
見たくないものを直視する
今日はとてもありがたいことが。
ぼくは、お互いの自分自身に関する深い話題を話せる友人と今日はお話ししていました。
話題は、自分の嫌いなこと、ぼくが彼女に振られた理由、その他。。
「それはなんでなの」
って、本当に興味のままに聞いてもらっていました。
しかし、たぶん一般に想像されるようななんでなのって聞き方とはまったく異なります。それってまったくもって同情に基づいたものではないものです。それは向こうがいけないんだよーみたいな話ではまったくありません。
それはコータが依存心を持ってたってだけだよね、
嫌われたくないってマイナスの感情に基づいているだけだよね、
みたいな感じで。いうならば尋問のペースです。
こういう話って、ここまで聞かれるとむしろ話すことが苦しいし、言われるのも相当応える。
(もちろん聞く方も相当な覚悟を持ってもらえないとこういう話はできない)
それでも、聞いてくれる人がいるから自分の感情って言葉になるんですよね。
独白しますと、自分の感情ってなかなか言葉にならないんです、ぼくは。その理由は、するのが怖いということもあるし、言葉に置き換えるのが面倒くさかったり、体面を気にしたりするから。むしろこれもぼくの別れてしまった理由のひとつではないかなと思ってます。
そして、自分の言葉をなかなか言葉にできない結果、物事を誤認してしまう。きちんと現実を捉えられない、受け入れられない。そういうことがぼくには多々あるんです。
今日はそのひとつ、たったひとつ、その友人に指摘してもらい、感動的な衝撃を受けました。その事実は明らかにすることはここではしません。その事実というのは、今まで自分が「こういう理由で別れてしまったんだな」と考えるときに、無意識のうちに避けていたこと。なぜならその事実を受け入れることが自分にとって嫌だったから。つらい、とも言い換えることができるかもしれません。今まで、その部分をくるくる回るように物事を考えていた。その部分だけないことにして、「美談」にしていました。
その事実を指摘されたとき、自分に杭を打ち込まれたような衝撃を受けました。まさに「杭を打ち込まれた」って感覚です。ドスン。その瞬間の壁が1枚打ち砕かれたような感覚は、心のその部分に触れれば血が手につくんじゃないかってくらい生々しく、かつ、こびりついていた壁や床の汚れや地面に張り付いている氷をバキッとはがした時のような心地よさが残っています。
というようなことを、今までのぼくなりにひとことでまとめるとするなら、
「今日は楽しかったです」
おわり
コータ
吐露・やりたいことと分からないこと
【吐露】
(1968字、長いので心してお読みいただけますと幸いです。)
警備員のバイトが終わり、地下の休憩室で着替えを終えたところ。地上はもう作業が終わっている。建設現場の地下は、地上からの風は吹いて来ない。でも、コンクリートそのままの床、壁、天井のせいか、地上よりも寒く、ひんやりして感じる。
警備員の仕事。仕事内容は主に工事車両の出し入れをすること。実際は休憩がこまめにあってもう少し少ないが、1日10時間前後の時間を、嵐だろうが吹雪だろうが現場の外に立って行う。いつもは朝から初めて19時や20時前後に上がるのだが、今日は奇跡的に18時までの残業で帰れるらしい。そのおかげでいまこうして自分の気持ちを綴っている。
今回は自分のやりたいこと、を書こうと思う。
バイトの話をすると毎回、なんでそんなきついバイトをやってるの、と聞かれる。もう雪の中で長い間立っているのは慣れてしまっているのだけれど。
理由。うん、これに答えるのは単純なようでむつかしいのだ、実は。理由は整理すると主にふたつ、稼ぎたかったし、やりたいことだったから。
まず、いろんな理由があって来年から2年ほど学生生活を延長することになった。その際、学費以外にもいろんな教材費がかかることになった。主に司法試験や予備試験の講座や教材だ。自分の選択で当初の予定と、はずれて働かない選択肢を選んだのだから、自分で稼ごう、という発想に至った。
そして、次の理由が厄介。やりたかったから。当初は短期だからそこまで長居するつもりなかったのですぐ辞められると思ったってだけだった。でも、今はそれ以上に、50代のおっちゃんたちとの交流が楽しかったり、かまってもらえるのが嬉しかったり。
要は、自分はここで承認されたいと思っていたんだ、と。そして、鉄骨を一本ずつ積んでくる10メートル近くあるトレーラーを出し入れすることで、自分の背後に屹立する巨大な建築物の役に立てている実感が持てる。とか。そう言った意味でのやりたいこと、に変化していた。
もうひとつ明確なやりたいことがある。
ぼくは法律家になりたい。そこに興味を持ったきっかけはあるんだけど、今回はそこは省略。でも、その理由の1番の根底にあるのは、「法によって人の活動を規制できる」こと。そういう法のすごく偏った見方をした時に、なにか大きなものを成し遂げられそうな漠然とした感覚を抱いているんだと思う。社会をうまい方法でもっとよくできるような。これは高校生のときに進路を決めるときに思ったことでもある。
じゃあ、その法や制度を使ってなにがしたいのか。それが、いまは、見えない。
(もちろん仕事は面白そうだと感じているからこの目標自体は変えるつもりはない)
以前は、人助けが"1番"できる仕事だと思った。医者になりたいとおもわなかったのは、学力的な理由が大半を占めるが、患者を助けたとしても、人は社会の中で生きているのだから、いきている環境自体を変えないと「本当に助けた」ことにはならないんじゃないかなと思ったから。つまり、逆に法律家なら、助けたいその人の法律関係を「直す」ことで、社会的かつ継続的にその人を「本当に救う」ことができると思ったのだ。
でも、「本当に人を救う」ってなんなんだろう。
と自問自答する機会があった。
ある子供の学習支援に熱心なNPOの代表は自由に進路・大学を選択できることだといっていた。
ある本や友人からは、人には人を救えない(のになにいっているんだ?という感じ。)と真っ向から否定された。
ある熱心なボランティアからは、人を助けたいというのも自分の感情なのだ。だから、その感情を満たすという意味で自己満足なんだ、って言われた。
ある熱心な宗教家は仏法なるものを唱えることだと言っていた。
あるアニメでは誰かを救うってことは誰かを見捨てるってことだ、といっていた。
分からなくなった、救うってことがなんなのか。人を救った経験がない、からなのかもしれない。好きな人に振られたときに、手のひらの上にあった大事なものが無くなってしまった、という感覚が強く残ったからなのかもしれない。子供の頃に憧れた正義の味方的なものになりたいのかもしれない。いろんなボランティアをしたけど、人のためになってるっていう感覚があんまりなかったからかもしれない。
こんな経緯で、ぼくの夢の本質部分、人を救いたいという部分は完全にぶった切られた。
ぼくは法律家になっていったい何を実現したいんだ?
と、ぼくは自問自答を続ける。
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そして、書きあがったあとにもさらに分かる。
誰かを助けようと思ってもむしろ傷つける、良かれと思ったことでも相手は迷惑する。
こんな自分勝手な記事を勢いで書いたおかげで、
ボランティアも熱心な宗教家も友人を傷つける。
そして、そのことががわかった自分も傷つく。
書かなきゃよかったとも後悔もするんだけど、
読んで欲しいとも思う。
だから、ここまで読んでくれた方には、患者の念しかない。
(すみません、感謝の念、です。追加修正)
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ここまで書く間に家に今日もたどり着いて、まだ冷たいこたつに入っている。
窓の外は、数え切れないほどの粉雪が横方向に吹き付けられている。
いま外に一歩を踏み出すのは、
むつかしそうだ。
コータ
雪道ドライブとスノーボード
大雪のなか、砂川にスノボをしに行って来ました!
友人とレンタカーを借りて
はるばる砂川のスキー場へ。
路面はかちかちに凍っていたところも多く、
後輪を滑らせながら移動しました。
何度かひやりする場面もあったのですが、
無事に到着。ゴンドラで山頂まで登りました。
うおおおお
きれいだあああああ
困難のドライブの後の絶景は格別でした。
年末に宙船を聞きながら思うこと
2016年がとうとう終わりそうになっていますね。
なんだか今年は、おそろしく早く過ぎていった気がします。
でも、院の入学試験や、ヒッチハイク、新しいバイトへの挑戦などをしました。
もしよろしければ、ヒッチハイクをしてわかったことをまとめましたので、読んでみてください!
ヒッチハイクをしてわかった7つのこと - あがったりさがったり。
ぼくは、いろんなことに挑戦もし続けています。
いや、何かに挑戦する感覚がすきなのかも(笑)
ですが、内心は臆病そのもの。怖さや不安が張り付いています。
それでも、いろんな人と出会い、別れ、その喜びも悲しみも悔しさもかみしめられた一年だったように思われます。
そんななか、ヒッチハイクにも挑戦し、いろんな方々と出会えました。こういうものは一期一会だと思って、何もお土産も持って行かなかったし連絡先も交換しなかった。
それでも、とてもすてきな人たちに出会えたと思います。
改めてまとめますと、わたしの来年の抱負
1 人の痛みを想像できる人になる
2 価値観を再検討する
3 勇気をもって、自分の臆病を打ち破る
(かなりまじめな感じになってしまいました(笑))
少々早いですが、
本年もよろしくお願いいたします!
コータ
ヒッチハイクをしてわかった7つのこと
こんにちは、先日ヒッチハイクを始めてやった、コータです。
(http://drivers-life.net/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%AF/ 写真はイメージです(笑))
ヒッチハイクを始めたばかりの私が、独断と偏見でヒッチハイクを通してヒッチハイクの良さを7つにまとめてみたいと思います。
多分に個人差があると思いますのであしからず!
①安く過ごせる。
旅をするときにやはり気になる多額の移動費。
人の車に乗るという怖さはあるけれど、移動費はもちろんかかりません!
乗せてくれた方に、感謝感謝です!
②乗せてくれる人の生き方を知れる。
しかし、安く移動できることはヒッチハイクの一つのメリットにすぎません。
その乗せていただいた運転手や同乗者とどんな話をするか。その一つが乗せていただいた方々の仕事やそれまでの人生についてだと思います。
子育ての大変さ、学生時代にした失敗、いろんな後悔、などなど。
③助けてもらえるありがたみを知り、やさしくなれる。
ヒッチハイクをする人は必ず、乗せてくれる車を待つときの”乗せてもらえなかったら行けない・帰れない”という不安を感じます。
それと同時に、乗せてくれる車を待つときの恥ずかしさや緊張も。
そんな時、乗せてくれる方は、メシアに見えます、本当に(笑)
そして、特に自分が厳しい環境にいるときに助けてもらえたという経験をすれば、「もっと人にやさしくしよう」とか、すくなくとも「ヒッチハイクをしている人を乗せてあげよう」と思うのではないでしょうか。
④コミュニケーション能力が上がる。
車に乗せてもらっているとき、無言でいることはやはり許されません。
でも、なかなか初めての人に話しかけることに緊張し、話すことができない人もいるのではないでしょうか。
乗せてくれる人はたいてい誰かと話したいな、という気持ちを持ってくれている人が圧倒的に多いです。
まず自分の自己紹介やどうしてヒッチハイクの旅をしているのかという話をしてみてください。きっと答えてくれるはず!
そして、自分が話したことに対して「相手が反応を返してくれる」と感じられる経験を積み重ねることで、初めての人に話しかける緊張は減っていくと思いますよ!
⑤助けてもらいやすくなれる。
どうしたらもっと早くに乗せてもらえるのか。
私はヒッチハイクをしている間にこういうことを考えていました。
なぜなら、1時間2時間と待つ時間が長くなればなるほど、心が折れそうになってしまいますからね。
これはいろんなヒッチハイク旅行記に書かれていることですが、
「自分の行き先をでっかくスケッチボードに書く」
「車が止まってくれる交差点付近で車を待つ」
あたりは書かれています。
そして、こういう経験を通じて、こういうことを考えられるのではないでしょうか。
「どうすれば自分のお願いが最も伝わりやすいか」
⑥自分の運転技術が上がる。
これは全く副次的なものです。(笑)
他人の運転をまじかでみていると、ひやひやするときもあります。
でも、ブレーキのかけ方、曲がるときのハンドリング、渋滞で車線変更してくる車に対するやさしさ。
人の運転を肌身で感じることで、無意識のうちに自分の運転技術を向上させているかもしれません。
⑦新たな出会いがある。
これに尽きると言っていい、ヒッチハイクの良さと聞かれたら。
ヒッチハイクで乗らせていただく車の方々とは、当たり前だけれど、ヒッチハイクしなければ多分出会うことはなかったでしょう。
色々な収入、人生、仕事、家族、学歴、などなど。
自分では思ってもみなかった人と乗り合わせられるでしょうね。
もしヒッチハイクをあなたがしようと思っているのなら、
事件事故に巻き込まれないように注意して、
楽しくヒッチハイクしてくださいね!